『忘れえぬロシア』 国立トレチャコフ美術館展 [ザ・ミュージアム]
国立トレチャコフ美術館展
『忘れえぬロシア』
Bunkamuraザ・ミュージアム
2009年4月4日(土)~6月7日(日) 〔開催期間中無休〕
「国立トレチャコフ美術館」は、19世紀のモスクワに、中流の商人の子供として生まれた、パーヴェル・トレチャコフ(1832~1896)と、弟のセルゲイ・トレチャコフ(1834~1892)の兄弟によるコレクションにより設立された美術館です。
トレチャコフ兄弟は、優れた商才により、商人としての頭角を現すと共に、絵画芸術への深い関心と、類まれな鑑識眼により、優れたコレクターとしても、当時のロシアに名声を博しました。
しかし、その絵画収集は、単なる個人コレクションとしてなされていた訳ではなく、コレクションの早い段階から、市民の為の美術館作りを目指していたと言われています。
当初、ロシア市に寄贈された、兄弟のコレクションにより、「市立トレチャコフ美術館」として誕生した美術館は、トレチャコフの没後に起こった、共産主義革命ののち、「国立トレチャコフ美術館」として再編され、現在に至っています。
帝政ロシアの末期、それまでは王族や貴族階級のものであった芸術が、市民のものとなって行った時代と言えるように思います。謂わば、その魁となったのが、トレチャコフであると言っても、過言ではないのかも知れません。
ワシーリー・ペローフ 眠る子どもたち
19世紀後半のロシア絵画は、庶民に対する憐れみの心、共感で彩られている。「小さな」人間、その運命に対する愛情、その痛みへの共感は、1860年代から70年代のもっとも重要な画家ワシーリー・ペローフの風俗画に、他に類を見ないほど力強く表現されているのである。
本展覧会 図録 解説より
この時期のロシア絵画の特色として、貧しい農民階級や中流階級の人々の生活を描いた作品が、数多く制作されているということです。
今回の展覧会は、リアリズムから印象主義へ、19世紀ロシア絵画の変遷の様子を辿る構成となっています。
イリヤ・レーピン 「画家レーピンの息子、ユーリーの肖像」
「トレチャコフ美術館」の収蔵品には、多くの肖像画が含まれています。
それらの中には、トレチャコフが自ら依頼して、制作されたという、トルストイを始めとした、当時の文化人の使用像画があり、今回の展覧会に、何点かが展示されています。
しかし、僕はそれらの肖像画のなかから、敢えてこの少年の像を選びました。
イワン・クラムスコイ 「忘れえぬ女(ひと)」
今回の展覧会のポスターやチラシに使われているこの絵『忘れえぬ女(ひと)』とは、実に三十年振りの再会でした。
1970年頃に、ロシアの美術館所蔵の絵画展が、何度か開催されましたが、その際今回の展示作品の何点かが来日していました。
しかし、大半は既に観た記憶はなく、僕にとっては「忘れえぬロシア」どころではありませんでした。それでも、クラムスコイの「忘れえぬ女」だけは、はっきりと記憶に残っています。
何となく、高慢な雰囲気を持つ、貴族階級のようにも見えるこの女性は、厳冬のロシアの街角で幌も付いていない馬車に乗っていることから、決して貴族階級に属する人物ではないと考えられると言うことです。
そして、高慢さを感じさせる表情も、近付いて観ると、その瞳は潤んでいるようにも見え、胸の底に深い悲しみを秘めているようにも見えます。
この作品は、発表当時から、トルストイの「アンナ・カレーニナ」や、ドストエフスキーの「白痴」のヒロインに擬せられて、語られることが多かったと言います。
しかし、長編小説の苦手な僕は、「アンナ・カレーニナ」も、「白痴」も、まともには読んでいません。また、悲劇的な最期を遂げる、それらの小説の主人公と重ね合わせられたら、この絵のモデルとなった女性にも気の毒な気もします。
ですから、僕はチェーホフの「鴎」に登場する「ニーナ」に、この「忘れえぬ女(ひと)」を擬して置きたいと思います。
また、この絵は、本来のロシア語では、「見知らぬ女(ひと)」と訳されるべき題名であると言います。
日本での「忘れえぬ女(ひと)」の題名が、どのような経緯で付けらたものか、色々調べては見ましたが、どうも判りませんでした。
しかし、この作品の持つ雰囲気には、むしろ「忘れえぬ女(ひと)」の方が相応しいと、誰もがそう思っているのではないかと考えます。
「忘れえぬ女(ひと)」を描いた、イワン・クラムスコイの自画像です。
イワン・クラムスコイ 「髪をほどいた少女」
そして、この絵もまた、クラムスコイの作品の一つとして、今回の展覧会に出展されています。
この少女の表情にもまた、深い悲しみや苦悩が観てとれます。
こうした、人物の内面に秘めた想いを描き出すことが、クラムスコイの才能の一つであったと言われています。
イリヤ・オストロウ-ホフ 「黄金の秋」
「トレチャコフ美術館」の収蔵品には、多くの風景画があると言う事です。
その中で、僕がこの絵を選んだ理由は、画面左下に描かれた、セキレイと思われる鳥によります。
小鳥の中では、セキレイは特に好きな鳥の種類の一つですから、鳥好きとしては、この絵をひと目見て、釘付けになってしまいました。
イリヤ・レーピン 「レーピン夫人と子供たち『あぜ道にて』」
この作品で、最も奥で女性(乳母)に抱かれている子供が、前に挙げた肖像画に描かれていた「ユーリ」だと言うことです。
上に挙げた風景画や、この作品は、印象主義への移行過程を示す作品と言っていいと思います。
最後に、もう一度「本展覧会 図録」から、少し引用しておくことにします。
(ロシアの)画家たちには、何よりも先ず民衆の生活の変化と改善に自らの創作を通じ奉仕しなければならないという信念があった。
本展覧会 図録 解説より
渋谷・Bunkamura HP
http://www.bunkamura.co.jp/index.html
この展覧会も素晴らしかったようですね。
数年前の国立ロシア美術館展を見て以来、ロシア絵画に興味を持つようになりました。
ロシア絵画は、フランス絵画などと比べると、洗練度は落ちますが、独特の魅力があると思います。
このなかでは、イワン・クラムスコイの「髪をほどいた少女」が一番好きです。
これも見に行きたかった展覧会の一つです。
by lapis (2009-05-14 20:04)
albireoさんが留守の間に、私はのんびり閲覧させて頂きますよ
今日ものんびりと、じっくりと拝見させてもらっちゃった♪
私、眠る子どもたちの絵、思わず魅入っちゃいました
写真で見てもそうなんだから、実物はもっと訴えかけられるんだろうなぁ・・
右側の子、少年かと思っていたのに、女の子なんですね~
ネックレスしてる!
昼寝かなぁ
まさかの駆け落ちかなぁ・・・いや、違うか
色々想像が膨らみます
by ナナ (2009-07-14 21:52)